ありきたりな恋の結末 ひと通りの会話が終わり、安堵感から法介が額に滲んだ汗をシャツで拭き取った。 緊張の余り声は裏返り、無駄に大きくなっていたような気もしたが、取りあえず質疑応答は、予定していたものを全て完了させることが出来た。最初に起こった事象を差し引いても何とかなった方だろう。 当然判断基準は自分なので、様子を伺う為に視線を向かい側へ送る。 ちらりと視線を送れば、牙琉伯爵は、會舘のロビーに据え付けられた赤いソファーにその長い脚を組み、行儀良く膝に手を置いて、法介の向かい側で余裕の笑みを浮かべていた。 ゆったりと腰を下ろしている姿は優雅で、仕立ての良い青いスーツの色と相まって存在感を誇張していた。それに比べて、赤いスーツの法介はソファーに同化してしまって見る影もない。 「随分と勉強しているようですね。」 奇妙は敗北感に打ちひしがれていれば、思いもよらないお褒めの言葉に法介は慌てて立ち上がった。米搗きバッタの如く深々と頭を下げる。 「は、はい。ありがとうございます。」 やれやれとでも言いたげに、口元に笑みを浮かべた霧人は、綺麗な指先で法介の肩をポンポンと軽く叩き、座りなさいと即した。 「そんなにされてしまうと困ります。此処を出入りしている業者方が見れば、何事かと変な詮索をされてしまいますよ。」 「いえ、会見が出来なかったら来月の記事と露頭に迷うところでしたから…それで、ちょっとお伺いしてもいいでしょうか?」 重大な役目が肩から降りた途端に、法介から沸いてくるのは好奇心だ。少し調子に乗っているのは、褒め言葉を拝聴したからだろう。 「あの、さっきの方は。伯爵に似ていらした…」 途端、霧人は眼鏡を指先で軽く持ち上げた。どうやらそれが彼の癖らしい。 「あれは私の弟です。欧州の方へ勉学に赴いていたのですが、連絡も無しに急に帰国してきて、全く困ったものです。」 言葉をそこで切ると法介に向き直りにこりと微笑む。それだけで、霧人が口では困った等々と文句を言いながらも弟が帰国した事を喜び、苦くなど思っていない事がわかる。寧ろ、あっさりと彼の言葉を受け入れてしまう辺り、目に入れても…の類だろうか。 牙琉伯爵は弟を溺愛している。そんな資料があったっけと法介は会社の資料庫を思い浮かべた。だいたい、弟がいるという情報が抜けているあたり、下調べが足りず、法介の落ち度に違いない。さっそくこの足で会社に戻って資料探しだと決意を固め、テーブルの下で拳を握った。 「貴方にもご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでしたね。 あんなものが送られて来てしまって、興味本位の記者の方々ばかりがいらっしゃるものですからつい、きつい事を言ってしまいました。」 「伯爵それは…。」 ネタを嗅ぎつけた法介の触覚がピンと張る。続けようとした質問は、牙琉伯爵が立ち上がった事と、女給が亜麻色の液体が入ったカップを法介の前に置いた事で遮られた。 「では、失礼しました。お詫びに英国産の最高級品を入れさせましたので堪能して下さい。」 そうして隙の無い仕草で立ち上がると、微笑んだ。「では、私はこれで。」 あれこれと、部屋の角で控えていた男達に指示を出し大股で立ち去っていく牙琉伯爵は、法介の追随など許さなかった。 ポツンと取り残された法介は、早くしろと女給に睨まれ、白磁の器に入れられたそれを恐る恐る口に入れた。いかに華奢な陶器はきっと、目玉が飛び出るようなお値段だろう。法介の薄給など何ヶ月費やしたところで追いつかないに違いない。 「………御馳走さまでした。」 入っていたお茶の味など、皆目検討もつかない状態で法介はカップをソーサーに置いた。カチリと磁器が触れあう音だけで心臓に悪い。側でじっと見つめていた女給がさっさと器を片付けてしまったところを見ても、法介程度の持てなしに出される代物ではないのだろう。 「あの、送られてきたものって」 「存じ上げません」 教育の行き届いたそつの無い返事をした女給が入口を見た途端、あと口元を抑える。つられて視線を向けた法介は、内務省警保局の御剣警部の姿を捕らえた。 難事件を幾つも解決している敏腕刑事だ。特に、今話題の怪盗を追っている事でも、新聞ネタとして取り上げられている有名人。華族である彼は、貴族服を着床して任にあたるところから、ヒラヒラ警部という呼称で呼ばれている。 法介も間近で見たのは初めてだ。 …本気でヒラヒラしてるよ、この人…。 「失礼する」 宣言すると一直線に、さっき伯爵が消えた扉へ向かった。 『伯爵とお約束は』『困ります』などと口にして押し留めようと慌てふためく使用人達を完全に無視して、ヒラヒラした彼は建物の内部に消えていった。 眉間に深く刻まれた皺は、彼の不快感を露わにしている様子で、踏みしめていく足音も彼の苛立ちを露わにするように騒々しい。 何か事件が起こっていることは間違いないと確信して、御剣警部の後を追った法介は、しかし彼とは違い牙琉伯爵の護衛にあっさりと裏口から放り出されてしまった。 content/ next |